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どうもどうも、ごきげんよう。
サラリーマン・ブロガーのエレファント・シンスケ(@yukihiro)です。
「貧乏」という基準は人によってさまざまだけれど、僕は過去に自分が「貧乏」だという確信を持ったことがあります。
どんな感じかというと
■住民税が支払えずに催促の通知が3回くらい来た
■土日に副業をして、生活費を作っていた
■家賃の支払いができないため大家との相談が何回かあった
■夫婦で280円の弁当で毎晩を過ごした(好きなものは食べれない)
■財布の中身を見て、200円くらい持っていたら「ラッキー」と思えた
■心の余裕がなくて夫婦で喧嘩した
■相手を思いやることができなくなった
■親に会った時、「何だ!?そのボロボロのTシャツと靴は!?ちゃんと食べれてるのか!?」と心配された
こんな感じ。世間一般のイメージとしては、そこそこ余裕がないことが伝わるのではないだろうか?
ただ、僕は東京にいた時、自分の生活水準を極限まで下げることを経験したおかげで、今ではある程度の心の余裕を持つことができた。
極限までに生活水準を下げると、ありとあらゆる問題に直面したとしても
と、受け入れるマインドができるからだ。
目次
ちょっとしたご褒美でもこの上無く幸せだと感じることができる
貧乏を経験した人は分かるだろうけれど、「普通の人」にとって当たり前のことは、貧乏人にとってはこの上なく幸せだと感じる ものだ。
■帰りにコンビニで100円のおにぎりを買うことができた
■何か月ぶりかに回転寿司を食べることができた
■ボロボロの靴を買い替えることができた
■今月分の通勤用の電車賃は何とか収入から賄えることができた(派遣で交通費は出なかった)
■同期との飲み会に参加できた
上記のことは、普通のサラリーマンにとっては当たり前にできることなんだけど、貧乏人にとってはかなり躊躇することなんだよね。で、それが可能になった時の喜びというものは、貧乏を経験しないと味わえないものだ。
自分の中での極限まで追い込み、貧乏人になると生活水準が下がる。
で、上がった時の幸福感ってのは半端ないのよね。食べることのありがたみを感じることができる。
生活水準が下がったことがない人は、ちょっとした困難でも不孝だと感じる。
— エレファント・シンスケ@サラリーマンブロガー (@yukihiro6741) 2018年7月15日
大半の人は、正社員としてお勤めをしていれば当たり前のように叶うことだから、幸福という気持ちはないかもしれない。
貧乏になることは決していいことではないが、そこから生活水準が少しでも上がることができた時の幸福感は半端ないよ。
今となっては
っていう感覚。。
笑いごとかもしれないけれど、僕ら夫婦にとっては幸せなことなんだよ。
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仕事量が増えても苦痛を味わうことなくこなすことができる
大半の人って会社員としてお勤めをしていて、忙しくなって自分に余裕がなくなると会社に対してあれこれと文句をいうのが当たり前になると思う。
■何で俺がこんなことまでやんなきゃいけないんだ?
■マジできつい。。仕事辞めたい。。
■帰るのが遅くなる。。いつもこんなんで人生疲れる。。
なんて気持ちを持つことは心当たりあるだろう。。
貧乏人を経験した側からすれば
って気持ちになるのよね。。
仕事があることが当たり前。お金をもらえることは当たり前。会社員というものは経済的に守られています。
過剰な残業を強いるブラック企業とか、無茶苦茶な量の仕事を与え威嚇するパワハラとか、確かにこういう実態は良いとは言えない。精神的な苦痛は、僕も大手メーカーにお勤めした時に経験したから気持ちは分かるから。
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だけどね。なんだかんだでお仕事はもらえているわけです。食っていくだけの給料はもらえているわけです。
僕が今の会社に転職できたきっかけは、大手企業でそこそこの経験を履歴書に書けたからこそ評価をいただいて、勤務することができている。
勤務としては土曜日出勤もあるし、毎日残業だけれど、全てが天国のように思えるのよね。
だって、仕事を与えてもらっているという感覚だから。それって幸福だと思う。
会社で他者がムカついても「かわいいもの」だと受け流し、コミュニケーションがとれる
会社の人間関係において、イラっとすることが多々あるのはお決まりだろう。
お金がないことの苦しさを経験していれば、
と、少しだけ他者に気持ちがフォーカスできるようになり、「かわいいもの」だと感じるようになる。
バカにしているわけではなく、単純に余裕を持つことができる。
何だろうな。。人に関心を持つというか、質問をしてみたくなるというか。。
で、そこから僕の中での「なぜ、イライラしているのか?」の疑問が生じ、コミュニケーションをとれるきっかけができる。
と、相手に歩み寄る感じ。
そうすると、どんなに相手がイライラしていても、その人は僕に牙を向けることはない。なぜなら、その人にベクトルを向けているからだ。
相手はイライラしている理由を話すようになり、少しずつ怒りが収まってくるようになる。結果として、僕が仕事上困った時に相談してくれるし、手を差し伸べてくれるようになる。
普通だったら、怒りをぶつけられるとその反動でこちらも憤慨するだろうけれど、今の僕はあんまりない感じ。
それも働けてるという幸福感があるからかもね。
生活できるのが当たり前という概念は実はかなりの贅沢である
結論、会社に勤めて飯が食えるのは普通であっても、僕にとってはかなり贅沢なものだと感じる。
月収23万円くらいで人生のどん底だと感じているのならば、それはかなり生活水準が自分の中で高い証拠だと僕は思うよ。。
僕は月収16万円で妻と家賃の高い東京で暮らしていたし、何とか副業や妻の援助のおかげで生活費を回すことができた。
23万円でお金が少ないというあなたはかなり「浪費」している証拠 だ。
■お酒
■タバコ
■外食
■飲み会
■その他趣味
これらって、どうしてもないと生きていけないかというと、そういうわけでもないよね?
その当たり前という概念を自分の中で消さないと、自分の中での「幸福感」というものはいつまで経っても生まれない。
人間は欲が出ればきりがない生き物だから。
何らの形でいいので、自分の中での生活水準を下げてみよう。そうすると自ずと当たり前のことですら、幸福だと感じることができるからさ。
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