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どうもどうも、ごきげんよう。
エレファント・シンスケ(@yukihiro)です。
僕は現在、35歳を迎えるなかなかの中年おっさんですが、29歳の時、両親と激しく喧嘩をしました。
それまでは不思議と、両親と喧嘩したことは一度もないと言えるくらいなんですが、29歳という年頃で喧嘩をして、自分がグレてしまうという情けない経験をしたものです。
普通だったら、中学校、高校と、自分の反抗期という時期を迎えて親と喧嘩をするものじゃないですか。
■自分がやりたいことを聞いてほしいのに聞いてくれない
■いつも一方的に怒るから口も聞きたくない
■親なんかよりも話を聞いてくれる仲間しか信用せんわい
こんな感じで早い時期に喧嘩したりするもんですが、僕の場合は逆に学生時代、自分で言うのもアレですが真面目でいい子だった気がします。
というよりも、親に引いてもらったレールがあって、ただ親の言うとおりに生きてきた方が妥当かなと。
まあ、自分の意志が全くない人間だったのですが、29歳になって初めて自分のやりたいこと、挑戦したいことに出会い、これを精一杯やってみようと決断したわけです。
この決断が、親の大きな反対を呼び、人生初となる大喧嘩を迎えることとなったのです。
目次
一切、僕の話を聞く気がない親に対して不信感
さて、今まで親に対して不信感を抱いたことがない僕ですが、29歳になって初めて親に不信感を抱くことになります。
なぜかというと、
■会社で鬱病になったのに、頑張って続けろとしか言わない
■俺のやりたいことがやっと見つかったのに内容を全く理解しようとしてくれない
■俺のことを理解してくれてる(と思い込んでた)人のことを否定し続けた
という感情が当時の僕にはあったんですね。
何がやりたかったのかというよりも、
辞めたかった当時の会社を辞めるための解決手段が見つかったからその内容を聞いてほしかった
という気持ちが一心だったんですね。
で、結局は、両親はその解決手段というものを全く理解してくれない(今考えれば当然のこと)とのことだったので、当時の僕は、話を聞いてくれない両親に対して心を閉ざしてしまい、大の大人がグレてしまったわけです。
まさかこの年で、親に対して心を閉ざしてしまうなんて自分でも思わなかったです。
ちなみに、その解決手段と言うのは、日本でイメージの悪いMLMビジネスである、アムウェイです。
特に親の世代なら、反対するのは当たり前ですね。
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身近の人から反対されるのは最も辛い
この記事を読んでいるあなたも、何かやりたいことがあったり、聞いてほしいことがあったとしても、親から反対されたり、話を聞いてもらえていないかもしれません。
大切な人だからこそ、怒りもさらに倍増するし憎しみも大きくなります。だって、本当にどうでもいい人から反対されても、気にしないし、無関心になれるじゃないですか。
だけど、身近な人には特に分かってほしいという気持ちが強いから、許せないんですよ。ひどい時は殺意が目覚める時だってあるでしょう。
僕は当時の会社で鬱病を患っていたせいか、理解してくれない両親にちょこっと殺意があった気がしますね。。
こんな言葉を母親に発した記憶があります。
■お前らが大手に行けと言ったから俺がこんなにも苦しんでいる。全部お前らのせいだ。
その時は、「頑張って会社に行け」という親が憎くて仕方なかったですね。「死ねばいいのに」と思ったことも多々ありますし。。今じゃ、考えられませんけどね。。
僕は普段おとなしい性格なんですが、自分でも制御できないくらい突然爆発して、攻撃的な態勢をとるようになった時は驚きました。
今まで親の言うとおりに真面目に頑張ってきたのに、自分のやりたいことを何で理解してくれないのか?
この気持ちが最も強くて辛かったです。
未成年のうちにグレても全然結果OK
僕は未成年のうちに親と喧嘩してグレることはとてもいいことだと思うんですよ。
特に、中学校、高校生の頃って感情的で、自分の考えを理屈で整理するのって難しいので、グレて何か悪いことをして、自分の経験を積むというのは良いことです。
経験してからハッと自分で悪さをしていることを認識し、自分で反省しようという気持ちが強くなります。
高学歴の上司は人間味がなくて冷たいイメージがあるが、元不良の上司は意外と人情が厚かったという話も良くありますしね。
まだ、未成年のうちに間違ったことをするのは、殺人などの犯罪をしない限りは、大人に比べれば大事には至らないはずです。
僕自身は学生時代グレたことなかったですが、結果として社会人になってグレたんで、もう少し早めにグレておけば良かったと思いますね。
グレてしまって不良グループとつるんで自分の青春を楽しんだり、親以外の人に相談して、自分のことを本当に理解してくれる人に頼ったりしてもいいでしょう。
今はSNSやブログなどが揃っている時代なので、自分の心境をどんどん発信して、弱みを分かち合える仲間が増えれば自分の居場所だって見つかります。
親と喧嘩をするということは「自分」というもの持てたという証拠
僕の場合は親と対立したときに、親を傷つける程の暴言を吐いたりしたので、決していい例ではありません。
だけど、僕は親や身近の人と喧嘩をすることは悪いことではないと思います。
それは考え抜いた末、自分の意思が出てきた証拠だと確信できるからです。
僕は結果として、親の言うことは一切聞かずに、大手企業を辞めて起業(アムウェイ)をするために東京へ行きました。
普通の人だったらこんなクレージーな決断はしないでしょうし、この決断があったからこそ、親との対立を招きましたが、ぼく自身も深く反省し今は親との信頼関係がもっと深くなったような気がします。
また大きな経験として
■大手メディアと提携し、WEBマーケティングコンサルタントとして100以上のコンサルを行った
■ビジネスパートナーと提携して、200人規模のイベントを開催
■全く人脈のない状態から自分でセミナーを主催して10人近くの集客に成功
■このメディアを構築できた
なども得ることができました。
お金がない中紆余曲折だらけだったけれど、その経験があったからこそ、自分のできる可能性というものに出会えました。
決して誰かに言われたのではなく、自分がただやりたいという一心で行ったのです。
素直に「人の言うことは聞く」ことはいいことだと思ういますが、時には対立することも必要だと考えています。
誰でもできることではない。自分がやるかやらないかだ
僕は、「自分のやりたいことは誰でもできる」というきれいごとを言うつもりはありません。
ただ、親の言いなりになって「我慢し続ける」のもどうかと思うのです。
我慢した先に、突然何かが爆発して取り返しのつかないことをして、他者に何らかの悪影響を及ぼすことも良くありません。
そうならないように、常日頃、
■自分のやりたいことは何か?
■どうすれば自分は変わるのか?
■今のまま、どんな先が待っているのか?
自分に問いただしていくことは必要なのです。もう爆発しそうならグレても構いません。逃げ出しても構いません。
捜索願を出してしまわれてもいいじゃないですか。だってそうさせたのは、話すら聞く姿勢がない親の責任なんですから。
僕は、妻という存在がいながら大手を辞めて、起業しに東京へ行ったという愚か者で、無責任な人間です。
未成年ならば例え無茶をしたとしても、多めに見てくれるでしょう。
ただ、自分が我慢をし続けるか、親と対立してグレテも自分のやりたいことを突き通すか、自分で決めればいいですよ。
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