どうもどうも、ごきげんよう。
このメディアの管理者、エレファント・シンスケ(@yukihiro)です。
まずは、動画で自己紹介します。
記事の更新は230を超えたくらい。(2020年3月現在)
1984年05月06日生まれ。
現在35歳。
福岡県北九州市出身
福岡県北九州市在住
趣味はドラムをたたくこと。
福岡県→長野県→東京都→福岡県と転々と移住。
ここからちょっと、エレファントの経歴を。twitterでもつぶやきましたが。
27歳
→大手企業入社2年目で、先輩、課長にパワハラを受け人が怖くなる28歳-29歳
→負けず嫌いの性格でチームリーダーへ30歳
→会社員から逃げたくて起業をするため東京へ30歳-32歳
→東京でマルチビジネスをするが全く結果出ず【友達失う】33歳
→ネットビジネスの商材で借金300万円続く
— エレファント@家族を守れ (@yukihiro6741) March 6, 2020
福岡県の国立理系大学院卒業後、長野県の大手精密機器メーカーに就職。
大手メーカへ入社して2年後、社内で最も誇りとする職場に配属され、激務を経験。
先輩や課長からもパワハラまがいの発言を受ける毎日だった。
毎日が朝7時から夜23時までの就業時間。
休日出勤があることもしばしば。休日も専門書を片手に図書館へ通う。
「勉強しないと自分は会社に貢献できない」
先輩からのプレッシャーがあり、求められる課題が多すぎたため毎日が自分との戦いだった。
2013年10月に妻と結婚。休みの日で妻との時間を過ごすときも、気付いたら頭の中身は仕事のことばかり。
「頑張ればいつかは報われる」ということだけを事を信じただひたすら真面目に取り組んでチームリーダーになったが、肉体的にも精神的にも耐えられずに、4年半で退社。
目次
MLMとの出会い
長野県で出会った実業家の恩師にMLM(マルチレベルマーケティング)を勧められる。
その時は、リスクなど何も考えておらず実業家のライフスタイルに憧れてMLMに興味を持つ。
結果、東京のMLMビジネスを展開するための環境を紹介していただき、そこでMLMを始めることを決意。
親にも相談せずに長野県から上京することを決意。世間一般からすれば、ただの非常識の親不孝者。
■既婚して半年で大手企業を辞める
■田舎から都心に環境を変える
■世間一般ではイメージの悪いMLMを始める
今思えば大きな覚悟と決断だった。
しかし、友人やSNSで出会った人にMLMビジネスを勧めていたがうまくいかず、その上、紹介してもらった環境も、指導者のトラブルにより崩壊する。
人が離れていく上に、収入にもつながらないMLMは断念。
その他にも、環境を変えて別のMLMを試してみるが続かない。
結局は自分の
■「影響力」
■「発信力」
がないとうまくいかないことを痛感。
今は、MLMの製品は愛用者として使っている。
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自分の不甲斐なさ、頑張ってついてきてくれた妻への気持ちを考えると、涙が止まらない毎日だった。
頑張っても報われないという人間関係のトラウマと、そして人間不信。
自分は一体何がしたいのか全く分からないという自己否定。
そのまま東京で2年の月日が流れる。
ネットビジネスで借金300万円を背負う
東京で2年目が経とうとしたある日、インターネットで稼ぐ方法に興味を持ち始める。
ネットビジネス高額商材に169万円ローンで支払い、利子が利子を生んで300万円の借金を背負う。
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ここで、プロブロガーや動画クリエイターのコンサルを受けて、
■パーソナルブランディング
■ライティングスキル
■WEBマーケティングスキル
■SNS(当時はfacebook)集客
■動画編集スキル
の基礎知識を学ぶが、ビジネスの厳しさを痛感。
毎月10万円の借金返済があったため、心の余裕がなくてビジネスはずっと結果が出ず。。
ビジネスで借金をすることはリスクを背負うため、自分の行動を奮い立たせるため結果が出やすいでしょう。
ただ、これが膨らむと自分に余裕なく
・顧客を第一に考えない
・金ばかりが頭にちらつく
・荒々しい口調になるベクトルが悪い方向に
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
— エレファント@家族を守れ (@yukihiro6741) March 6, 2020
毎日が不安で、夜中までパソコンに向かって作業をしていた記憶だけは残っています。
それだけ必死だった。
弁当180円で毎日を過ごす夫婦
大手を辞めて、東京で借金を背負いながらフリーランス、そして、妻を養いながらの生活は当然ながら困難だった。
妻は正社員として家計を助けてくれた。
スーパーで買った180円の弁当で過ごした日々は、今も忘れはしない。
東京でフリーランスで、しかも借金300万を抱えてたら、当然、妻を養うことはできなかった。
妻は正社員として家計を助けてくれて、何とかスーパーの弁当は食べれた。
そりゃあ借りがあるから、倍返しするのは当たり前。
今度は俺の番だ。
— エレファント@家族を守れ (@yukihiro6741) March 6, 2020
土日に1日派遣のバイトに登録し、その日の食事代を稼いでいたこともあった。
この時にお金に対するシビアなマインド、ハングリー精神が身に付いたと思う。
とにかく作業に取り組んだ。
■アフィリエイト
■ブログ作成
■メルマガ作成
何をどうすればお金に繋がるのか、どうすれば妻との自由な時間を確保できるのか
自分に問いかける毎日だった。
メディア会社からメディア編集長に抜擢される
フリーランスとして活動していたとき、メディア企業からブログのライティングスキルが評価され、メディアの編集長に抜擢される。
個人で稼いでいた当時の月収は25万円。
この時が一番、短期で出した収入。
メディア企業では、リモートワークとして様々な起業家、オーナーが記事を作成していたおり、添削指導やスカイプコンサルを記事編集長として担当。
この時の睡眠時間は3時間くらいだった気がする。。
イベントを積極的に開催
メディア編集長の時は、ネットからリアルへ様々な起業家と交流を深めるためにイベントやワークショップを開催。
主にfacebookからfacebookグループ&ライン@へ誘導した顧客リストにより集客ができた。
10人の集客ができたときはとても嬉しかった記憶がある。
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この時の行動力は多分、今までで一番あったかな。。




当時はインパクトを作るため、ハットにグラサンという組み合わせでブランディングを確立していた。
この時に教えていた内容は主に、個性心理学(動物占い)というコンテンツだった。
様々な方の個性(生まれながらの思考パターン、素質)を見て、その人にはどのような分野が向いているか、得意なのか?を見極めることによって、自分のビジネスに生かすようコンサルをしていた。
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ちなみに僕は、動物分析の結果はゾウなので、だから「エレファント・シンスケ」というビジネスネームが生まれました。
東京都から福岡県へ移住
2017年3月に父親が亡くなったことをきっかけに、東京から地元福岡県へUターン。
そこから現在に至るまで、地方の会社員として就業。
福岡のごはんはおいしいし、何よりも人が温かい。。
これまでに育ててきたこのメディアをさらに進化させるため、さらなる情報をインプットをしようと思う。
2020年2月から、ずっと放置していたtwitterに力を入れ始める。
今後やること
エレファント・シンスケが今後やることは、2021年5月の会社設立に向けてブログ、twitterを中心に活動していきます。
元々、バンドの音楽活動をしていたということもあり、
「みんなが輝ける場所を作る」
というコンセプトを元に会社設立を決めました。
今の日本人は、せっかく仕事や家事を頑張っていてもなかなか承認される機会というのは少ないです。
誰だって自分は認められたいし、自分とは何かを表現したい、そんな方はいらっしゃるはずです。
自分を表現する方法は
・音楽「バンド、歌」
・ファッション
・トーク
何でもあると思うので、アーティスト、クリエイターの方を中心に会社を作れたらなと思います。
エレファント・シンスケに対しての質問は、このサイトの「お問い合わせフォーム」からどうぞ。
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